ギャングプロフィール

歴史上最も名高いギャングスター

2016年5月1日 • By

もしマフィアの手によらなかったら、ラスベガスはかなり違ったタイプの街になっていたはず。現代のギャンブルを変容させたカジノギャングスターたち — 彼らはいったいどんな人物だったのか?ここに上げるのが一番の有名どころ。

私たちのお勧め

ベンジャミン・シーゲル — 「バグジー」

ラスベガスをギャンブルの楽園と化し、そこから止めどなく溢れ出す金を横領するアイディアをちらつかせた最初の人物はアル・カポネだった。が、カポネは何にも手を付けることなく死んでしまった。実際に動きに出た最初の男はベンジャミン・シーゲル、「バグジー」だった。

シーゲルは、べガスで初のマフィアが運営するカジノ、フラミンゴのサポートと設立のため、国中からマフィアの構成員を呼び寄せた。しかし、シーゲルのあまりの横領によりプロジェクトの費用が当初の予算の4倍に膨れ上がった。そしてこれがシーゲルの命取りとなる。

マイヤー・ランスキー

バグジーがフラミンゴの顔だとしたら、子供の頃からの友達マイヤー・ランスキーが実際に財布の紐を握っていた男。資金のほとんどを管理していて、数字に強いことでよく知られていたランスキーの目を欺くのは容易ではなかった。

ランスキーとバグジーは、もといたニューヨークにてバグズ・マイヤーの名でマフィアを率いていて、法人マーダーで通った暗殺業の司令塔であった。彼らの友情の歴史にも関わらず、バグジーの最後を手配したのはランスキー本人だったと多くは見ている。

アンソニー・スピロトロ — 「蟻」

その小柄な体型から「蟻」とあだ名されたスピロトロは、1995年の映画カジノに登場するジョー・ペシが演じるキャラクターの土台となっている。

シカゴ・アウトフィットの一員であったスピロトロは、1971年にラスベガスに配置され、現金をシカゴに送る任務を当初は与えられていた。スピロトロがべガスの街をその手で動かすようになるのは、それから遠くないことである。しかしながら、不法行為に科す税金を導入したため、他のべガスのビッグプレイヤーから嫌われるようになる。1986年に弟ともども、12名のギャングに襲撃されて死亡。

マーシャル・ケイファノ

プロボクサーでもあるケイファノは、シカゴ・アウトフィットの最も恐れられたヒットマンの一人であった。ポール・リッカがバグジーからラスベガスを後任した折、ケイファノはリッカの右腕として働くようになる。その年代の末には一切を任されるようになった。

数多くの殺人の主犯として目されながらも、証拠を残さない奇異な才を持っていた。そんなケイファノであったが、株券をブラックマーケットで売っていたのを見つけらる。この告発に限っては振るい落とすことが難しかったようで、1980年に刑務所に送られた。

フランク・ローゼンタール — 「レフティー」

チャンスの出現に敏感で、数字への頭も持ち合わせていたフランク・ローゼンタール、「レフティー」は、単に歩を設定するだけでなく、場を治すことの出来るブックメーカーとして、シカゴでその地位を築いた。1970年代にべガスに移ったローゼンタールは、その命を狙った陰謀によって引退を強いられるまでスターダスト・カジノを先導していた。

フランク・コステロ

イタリアの小さな村に生まれたフランク・コステロ、「首相」はルチアーノ・ファミリーのランクを上りつめ、1936年からは自らがファミリーを率いるようになる。この図式の中へと、1950年代に舞い戻って来たヴィト・ジェノヴェーゼにその座を引き渡すが、再びファミリーのコントロールを奪還すべく執念に燃えていた。ヴィトの手配した暗殺が運良く失敗したのち、フランクは引退を表明。1957年、その権力をジェノヴェーゼに返還する。

このような暴力団員による詐欺行為に安全対策が講じられ、現在ではポーカーやバカラ、その他のカジノゲームに興じる際、現代のカジノすべてに適用される。