ギャングプロフィール

アンソニー・スピロトロの物語

2016年5月1日 • By

アンソニー・「ジ・アント」スピロトロは最も悪名高いマフィアメンバーの一人であり、また1995年のマーティン・スコセッシの映画、「カジノ」でジョー・ペシが演じたキャラクター、ニッキー・サントロのモデルになった人物です。

物語の始まり

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スピロトロは1938年にイタリアの大家族の一員として生まれ、両親が経営するレストラン、「パスティーズ」の中で5人の兄妹たちと一緒に育ちました。このレストランには悪名高い地元マフィア達が集まっており、いつもマフィアの構成員の「メイドマン」達が駐車場の中で会合を開いていたのです。

そしてそんな環境で育ったアンソニー少年が不良になったのもごく自然なことでした。小さな時から学校ではいじめを行い、高校2年生の時に高校を中退してからは財布をすったり、万引きをしていることがしょっちゅうでした。

そしてアンソニーは数回に渡って逮捕されてのですが、彼を真っ当な道に更生させることはできませんでした。アンソニーの欲望は満たされることが無く、悪名高いギャング達と一緒につるむようになるまではそう時間はかからず、やがてアンソニーは両親の経営するレストランで名が知られる存在になるのでした。

マフィアに加わったスピロトロ

1962年に24歳になるまでに、スピロトロには影響力のある友人が何人かでき、それが「マッドサム」デステファノに名前を売るきっかけになったのです。スピロトロはすぐにデステファノのギャングの一員となりました。

スピロトロが最初に受けた殺しの依頼も、マッドサムを通したものでした。スピロトロは自分と同じ24歳の2人の強盗、ミラグリアとマッカーシーの「M&Mボーイズ」を殺害するように指示されました。2人は拷問にかけられた後殺害され、その手口も極めて惨たらしいものでした。

スピロトロはその恐れを知らないサディズムにより、自分が求めていた名声を価値を勝ち取ることができました。1965年、まだ弱冠25歳のスピロトロは、マフィアの構成員の「メイドマン」となったのです。スピロトロはシカゴ北西のテリトリーの統括を任されたのですが、これは同時に警察やメディアに捕捉されてしまうことも意味していました。スピロトロのニックネームの「ジ・アント」は、名前のアンソニー、そして彼の身長(スピロトロは5’2”と小柄だった)にちなんで名づけられたものです。

スピロトロはただのメイドマンではありませんでした。スピロトロは警察にマークされ、法執行機関はなんとしてもスピロトロを裁判にかけるよう必死になっていたのです。

ベガスに移るスピロトロ

スピロトロの名声は高まる一方でした。そして1970年代の前半までに、スピロトロはさらにマフィアの中での自身のランクをのし上げたのです。1971年にスピロトロはベガスに移り、ベガスのカジノで得た金を、シカゴに戻すという計画の実行を任されたのです。

しかしスピロトロは、金をシカゴに戻すだけでは終わりませんでした。スピロトロはベガスの裏世界全てを乗っ取り、街で事業を行おうと考える犯罪者全員に税金を課したのです。税金を拒んだ者は、命が危険に晒されることになりました。

止まらないスピロトロの欲望

1976年、スピロトロは電化製品と高級ジュエリーを扱う店、「ザ・ゴールド・ラッシュ」をオープンしました。しかしこれはスピロトロの新しい事業、「高級強盗」の隠れ蓑だったのです。

スピロトロのマフィアの一味は、どんなホテルの部屋でも高級な家でも自由に立ち入ることができ、目に入った物は盗み放題でした。彼らは盗んだ盗品を店で販売したのです。彼らのやり口は屋根や壁日穴をあけるようなものだったので、彼らは「ザ・ホール・イン・ザ・ウォール・ギャング」として知られるようになったのです。

その後の数年で、スピロトロの事業は劇的に拡大しました。強盗はもはやベガスの中だけではなく、「トライステートエリア」全土で起こっていました。そしてスピロトロが麻薬の取引や売買を始めたという噂も、地元の暴走族の間でささやかれ始めました。

スピロトロには名声がありました。そして自分の前に立ちはだかる者には、容赦なく殺人を依頼しました。しかしスピロトロが殺人を依頼した一人のアラデナ・フラチアーノ(ジミー・ザ・ウィーゼルとも)が、スピロトロを失脚に追い込んだのです。フラチアーノは殺人が実行される前に殺人について知っており、密告者となってネバダのゲーミングコミッションでスピロトロに対して証言をしたのです。

終わりの始まり

スピロトロはブラックリストに登録され、ベガスのカジノ全店から出禁となりました。出禁になったことでスピロトロはそれ以上マフィアとしての事業を継続することが困難になりました。シカゴに戻ってからも、スピロトロは自分に自分のマフィア達にどれだけ関心を向けられるか心配だったのです。

そして強盗の計画が失敗し、スピロトロのギャングの一味のほとんどが逮捕されて裁判にかけられると、その心配もさらに大きくなりました。

1986年、スピロトロと弟のミカエルが、ミカエルがもうすぐ「メイドマン」になるとの話を受けて会合に呼び出されました。しかし実際には、二人は他の12人のマフィア達に激しく殴打され、首を絞められて殺されたのです。「ジ・アント」を殺害するには12人の力が無ければ殺すことができなっかたのです。